ギャラリーNEW新九郎新九郎アーカイブ
2015年12月28日 13:17
平成9年1月開業し、19年間にわたり営業を続けてまいりましたが、12月28日を持ってギャラリー新九郎の営業を終了する事となりました。
新九郎を愛し、ご利用くださいました多くの皆様、19年間本当にありがとうございました。
新九郎のこと
平成9年1月オープン。
最初はなかなかお客がつかず、年に数本であった。ある写真家の方から、「3年はかかりますよ。」と言われたが、5年経っても厳しい状況が続いた。当初は喫茶を営業していたが、松尾さんのじゃがいもがまるごと入ったカレーが評判であった。
松尾文恵さんは良寛展、小山内美江子講演会、新九郎5周年記念展などを企画されたのが記憶に残る。
ギャラリー経営のノウハウも無く、有隣堂や伊東屋のギャラリーを参考にした。とにかく空きを埋めなければと、岩波単行本全点フェア、ダイアリーフェア、中古ビデオフェア、若者の間でブームになっていたコミックマーケットも開催した。
出版社を通じ絵本の原画展も何回か開催した。中でも印象に残るのは「きいちのぬり絵原画展」である。春日部のご自宅まで絵を借りに行った。つたやさんは面相筆で可愛い少女の顔を描いていた。奥様はマリア様の様な感じの方だった。宣伝がうまくいかず入場者は少なかったが、ルノワールの少女像にも引けをとらない、つたやきいちの愛らしい少女像の肉筆画を、皆さんに見て頂けたことが嬉しかった。
どうしたら新九郎を使っていただけるのか、第二金土デッサン会の先輩である里見敏郎さんや、画家の住谷重光・美知江さんご夫妻にギャラリーの運営について相談もした。お二方のご助力もあり7年目くらいからお客様も徐々に増え、また銀座商店会主催の街なみ再発見展!(現「街展」)もスタートするなど、内容的にもギャラリー活動が充実してくるのを感じた。
新九郎のホームページには創設者である故大嶋保孝社長の写真と共に、次の方針を掲載している。
[ギャラリー新九郎は地域の文化の担い手となります。]
貸し画廊 地域の皆様に愛されるギャラリー
企画 才能ある若手アーティストの紹介
イベント デッサン会、ギャラリートーク、ワークショップ、
アート巡り、コンサート、落語会etc
多くの皆様のご支持を得て、19年目を迎えたいま、何とか先に掲げた目標に応えるギャラリーが実現できたのかなと思う。個人的には最後に自分に一番合った良い職場に恵まれたと思う。
思うようにやらせていただいた経営者の方々に感謝すると共に、何よりも新九郎をご利用頂いた多くの皆様に感謝いたします。本当にありがとうございました。
ギャラリー新九郎閉館に寄せてメッセージをいただきました。
新九郎ギャラリーで禅の書画展を開催して十年以上になると思います。平成十四年正月に良寛展の講師としておまねきを得て、それを御縁に毎年お世話になりましたのに、今年限りとなったのは、残念に思っております。
禅というと難しく思われるので、まず禅の文化に親しんでもらおうと、禅画や墨蹟を鑑賞してその解説を始めたわけでした。普通画郎といえば絵画展の場所なのに新九郎は自身画家の木下さんの幅ひろいお考えで、私どもの企画もよく理解されいつも協力して頂きました。その点では新九郎ギャラリーは美術教室のようであり芸術サロンとかセンターのような、世間でも珍しい場所でありました。私がここで親しくなった方々も少なくありません。この業績と伝統の名は小田原の文化史の中に永く残ることと信じております。
11月を迎えようとする日、新九郎の木下さんからいつものようにメール便が届いていた。
新九郎通信にしては薄いなと思いながら開封。ギャラリーを閉じるにあたり一言お願いしたいとのことだった。閉じることは水曜会展に寄った際に聞いてはいたが、あらためて残念に思う。
知っている人の展覧会やグループ展、また知らない人の展覧会でも楽しく顔を出すことができた。そこには、いつも素晴らしい作品があり、会話があった。気づけば温かい気持になってギャラリーを後にしている。私にとって「心のよりどころ」のような所であった。
新しい美術の流れを知り、普段ふれることのできない作品を観させてもいただいた。展覧会だけに限らず、新九郎寄席をはじめ多岐にわたる企画に多くの方が関わり、参加された人たちの輪がどれだけ広がったことか。
いま手元に80号までの新九郎通信がある。街なみ再発見の連載ではお世話になったが、モノクロ印刷がカラー印刷になり、アート印刷にと進化している。まさにギャラリー新九郎の19年間の歩みを見るようだ。住谷さんのアトリエ訪問から始まった「アトリエ訪問」シリーズは特に毎回楽しみの一つだった。
思えばギャラリー新九郎の果たしてきたものは実に大きい。これか
らもそれぞれの人の中に生きていくことだろう。閉じるのは惜しまれるが、今は、感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と言いたい。
ありがとう ギャラリー新九郎
1997年、僕が小田原に移り住んだ年にすばらしい空間の新九郎がオープンしました。今、こうしていると、心に響いてくるのは、先代の故・大嶋社長の「本屋の上に、コーヒーと文化の香りのするギャラリーを。」というコンセプトです。その思いを木下さんに託されたそうですが、当初、木下さんは文具と兼任されていたため、喫茶室を松尾文恵さんが担当し、様々な企画もされました。その後、ギャラリーをサポートする意味で、新九郎友の会が発足しました。高橋正雄さんを会長に住谷美知江と木下和子さんが中心になり、様々な企画展をしました。窪田真規展や飯室哲也展など、コンテンポラリーアートを小田原に根づかせた功績は大きいと思います。また木下さんを中心に小田原の画廊が集結した街なみ再発見展!は、小田原の風物詩になりました。個人的には、伊勢治オリジナル年賀状を十年間させて頂いた事や、様々な実験展をした事がなつかしいです。小田原は海あり山ありの美しい風土の中、歴史と文化に恵まれています。また井上三綱氏が小田原の美術の礎をつくりました。師は坂本繁二郎です。僕は坂本氏の絵と出会い、画家を志した訳で、不思議な縁を感じます。ひとつひとつが、かけがえのない思い出ばかりです。新九郎を閉じるのはとても残念ですが、それぞれの再出発でもあります。最後に、あたたかく見守ってくださった大嶋絹江様、大嶋相談役、筒井社長、ありがとうございました。
ありがとう新九郎
新九郎友の会の一員として、新九郎でのイベントには良く参加させていただいた。落語会、様々なワークショップ、仏像講座や映画会、街展ではお茶出しのボランティアなど楽しい思い出は数えきれない。中でも、7年前から始まった「新九郎通信」の「アトリエ訪問」は、貴重な体験として心に残る思い出だ。住谷重光さんから始まったアトリエ訪問は、12月新九郎の最後を飾る「紙彩の太田宗平」さんが最後の31人目となった。
普段は見せていただく機会のないアトリエをお訪ねし、直に作家のお話しを伺えたことは、緊張と興奮の心踊る時間だった。インタビューのメモをまとめる苦労もあったが、「読みましたよ」のお声にずいぶん励まされた。アトリエ訪問を通し、私自身作家を知ることで、作品をより身近に感じ楽しめるようになったことは何よりうれしい事だった。作家の仕事場であるアトリエは皆きれいにされていて、筆や道具類も大切にされ、日々の生活ぶりが伝わってきた。皆さん作品を前にすると熱心に語って下さり、自信に満ちた姿が印象に残っている。ご高齢の作家も年齢など感じさせない若々しさと気力に満ちていた。作家として生きるという厳しい選択をした皆さんは、日々より良い作品を生み出すひたむきな努力を重ねていられ、その真摯で前向きな探究心にも圧倒された。
油彩、水彩、日本画、陶芸、版画など、いろいろ知らなかったこともずいぶん勉強させていただいた。新九郎での展示が見れなくなることは寂しいが、これからの作家の皆様のご活躍をお祈りします。
絵てがみ折々 ―小田原の暮らしの中で―
長い間所属していた絵てがみの会が解散した。3年ほど
前のことである。そこは、私
の活動の拠り所でもあったの
で、突然の解散をなかなか受
け止めきれずにいた。
最後の大会のときに、「終
わりは始まり」という言葉を
聞いた。そうか、終わりとい
うのは、これから新しく始ま
る世界があるということだ
ったのだと、ようやく前向き
に考えることができるように
なった。
「ギャラリー新九郎」には、
個展やグループ展などで大変
お世話になった。ここで多くの方々と知り合い、たく
さんの思い出もある。この先、伊勢治書店の三階へ足
を運ぶことがなくなるのはとても淋しい。
これまで「絵てがみ折々」をご覧いただきありがと
うございました。
アール・ド・ヴィーヴルの作家たち
~自分らしく生きる~4.
アール・ド・ヴィーヴルとギャ
ラリー新九郎が出会ったのは今か
ら3年前、ギャラリー近くの店に
飾ってあったアールの作品たちが
木下さんの目に留まり、展覧会を
開いてみないかとお誘いをいただ
いたのがきっかけです。あれから
毎年春には、アール・ド・ヴィー
ヴル「自分らしく生きる展」を開
催。多くの来場者に恵まれ、作品をご紹介できる晴れの舞台を作者たちは楽しみにしています。3回の展覧会を終えて、来年に向けて創作活動に頑張ろう!と伝えた矢先に残念なお知らせが届く。メンバーたちにはどう説明しよう・・・。残念なのは私たち以上に当事者の作者たちでしょう。
私たちの活動に賛同くださった木下さん、アール・ブリュット展を小田原でぜひやってみたいとお声かけいただいたことがきっかけで今の活動があります。木下さんには新たなステージでご活躍されることを祈っています。
19年間、地域のアート活動を支えてくださった木下さんのご尽力に感謝しております。本当にありがとうございました。そして、ギャラリー新九郎、お疲れさまでした。
思うことなど
現在、ニッチギャラリーでの個展の最中。大学のサ
ークルの先輩方との飲み会の帰り道です。小田急線の
民になって9年、小田原市民は3年目です。その前は
中央線の民、八王子市民でした。時は2005年、湘南
台でカルチャー講座をしていました。その年シェル美
術賞で賞をいただき生徒さんにも案内をわたしまし
た。生徒さんの一人が「友達といきますね」と観てく
れました。数ヶ月後ニッチギャラリーでの個展にその
生徒さんとお友達が来てくれました。その友達はシェ
ルの作品をたいそう気にいってくれたそうで、現れた僕の風体がイメージとかなり違ったのにも関わらず後に、結婚してくれました。妻の父も「小田原で画廊をしているものです。ぜひ個展を」と蒲鉾をお土産にいただきました。新九郎木下さんとの出会いです。当時、昼も夜も無い生活をしていたものですからpm4時に新九郎に伺う約束をした日にam4に目が覚めて慌てて駅に向かったら朝だった。ということもありました。陽当りゼロのアパートでは真冬のその時間は朝晩の区別がつかなかったのです。
正式な4時に、木下さんと同席していた住谷さんに会いました。個展は翌年の5月に始まり、毎年の恒例行事となりました。多くの支援者の方々が毎年の個展を盛り上げていただきました。本当にありがとうございます‼新九郎は僕にハッピーしかくれませんでした。
その新九郎が無くなるなんて。新九郎でしか出来ない作品を考えていたのに、、 そんな事はどうでも良いのです。伊勢治書店様、木下さんありがとうございました。これからも宜しくお願いします。